2017年11月7日火曜日

審決取消訴訟 特許 平成28(行ケ)10189 拒絶審決 請求認容

事件番号
事件名
 審決取消請求事件
裁判年月日
 平成29年10月25日
裁判所名
 知的財産高等裁判所第3部
裁判長裁判官  鶴      岡      稔      彦
裁判官  杉      浦      正      樹 
 裁判官大西勝滋は,転補のため,署名押印することができない。
裁判長裁判官   鶴      岡      稔      彦  

「 事案に鑑み,取消事由2の成否,すなわち,本願につき,サポート要件(特許法36条6項1号)に適合しないとした本件審決の判断の適否について,まず検討する。
(1)  特許請求の範囲の記載がサポート要件に適合するか否かについては,特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し,特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明に記載された発明で,発明の詳細な説明の記載又はその示唆により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か,また,その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものと解される。
 これを本願発明についてみると,まず,本願発明に係る特許請求の範囲(請求項1)の記載は,光学ガラスを本願組成要件及び本願物性要件によって特定するものであり,そのうち,本願物性要件は,「高屈折率高分散であって,かつ,部分分散比が小さい光学ガラスを提供する」という本願発明の課題を,「屈折率(nd)が1.78以上1.90以下,アッベ数(νd)が22以上28以下,部分分散比(θg,F)が0.602以上0.620以下」という光学定数により定量的に表現するものであって,本願組成要件で特定される光学ガラスを,本願発明の課題を解決できるものに限定するための要件ということができる。そして,このような本願発明に係る特許請求の範囲の構成からすれば,その記載がサポート要件に適合するものといえるためには,本願組成要件で特定される光学ガラスが発明の詳細な説明に記載されていることに加え,本願組成要件で特定される光学ガラスが高い蓋然性をもって本願物性要件を満たし得るものであることを,発明の詳細な説明の記載や示唆又は本願出願時の技術常識から当業者が認識できることが必要というべきである。
(2)  そこで,以上の観点から,本願明細書の発明の詳細な説明の記載及び本願出願時の技術常識に基づき,サポート要件についての本件審決の判断の適否について検討する。
ア  本願明細書の段落【0014】,【0021】,【0023】,【0025】,【0027】,【0029】,【0031】,【0033】,【0035】,【0038】,【0048】,【0058】及び【0060】には,光学ガラスの組成について,本願組成要件に規定される各成分を,その規定に係る数値範囲で含有することがそれぞれ記載され,また,段落【0073】及び【0074】には,「TiO 2 /(ZrO 2 +Nb 2 O 5 )の値」及び「SiO 2 ,B 2 O 3 ,TiO 2 ,ZrO 2 ,Nb 2 O 5 ,WO 3 ,ZnO,SrO,Li 2 O,Na 2 Oの合計含有量」を本願組成要件に規定される数値(上限値又は下限値)とすることが記載されている。
 また,本願明細書の【表1】~【表9】には,実施例(No.8,9,21,24~38,41,44,45,48~57,60~66)として,本願組成要件を満たす具体的な組成物も記載されている。
 したがって,本願明細書の発明の詳細な説明に,本願組成要件で特定される光学ガラスが記載されていることは明らかである。
・・・
ウ  他方,本願明細書の発明の詳細な説明における実施例の記載をみると,本願組成要件を満たす実施例(No.8,9,21,24~38,41,44,45,48~57,60~66)に係る組成物が,本願物性要件の全てを満たすことが示されているが,これらの組成物の組成は,本願組成要件に規定された各成分の含有比率,「TiO 2 /(ZrO 2 +Nb 2 O 5 )の値」及び「SiO 2 ,B 2 O 3 ,TiO 2 ,ZrO 2 ,Nb 2 O 5 ,WO 3 ,ZnO,SrO,Li 2 O,Na 2 Oの合計含有量」の各数値範囲の一部のもの(具体的には,別紙審決書4頁23行目から5頁8行目までに記載のとおりである。)でしかなく,上限から下限までの数値範囲を網羅するというものではない。すなわち,本願組成要件に規定された各数値範囲は,実施例によって本願物性要件を満たすことが具体的に確認された組成の数値範囲に比して広い数値範囲となっており,そのため,本願組成要件で特定される光学ガラスのうち,実施例に示された数値範囲を超える組成に係る光学ガラスについても,本願物性要件を満たし得るものであることを当業者が認識できるか否かが問題となる
    そこで検討するに,まず,光学ガラスの製造に関しては,ガラスの物性が多くの成分の総合的な作用により決定されるものであるため,個々の成分の含有量の範囲等と物性との因果関係を明確にして,所望の物性のための必要十分な配合組成を明らかにすることは現実には不可能であり,そのため,ターゲットとされる物性を有する光学ガラスを製造するに当たり,当該物性を有する光学ガラスの配合組成を明らかにするためには,既知の光学ガラスの配合組成を基本にして,その成分の一部を,当該物性に寄与することが知られている成分に置き換える作業を行い,ターゲットではない他の物性に支障が出ないよう複数の成分の混合比を変更するなどして試行錯誤を繰り返すことで当該配合組成を見出すのが通常行われる手順であることが認められ,このことは,本願出願時において,光学ガラスの技術分野の技術常識であったものと認められる(甲5,6,17,18,21,22。以上のような技術常識の存在については,当事者間に争いがない。)。
  そして,上記のような技術常識からすれば,光学ガラスの製造に当たって,基本となる既知の光学ガラスの成分の一部を,物性の変化を調整しながら,他の成分に置き換えるなどの作業を試行錯誤的に行うことは,当業者が通常行うことということができるから,光学ガラス分野の当業者であれば,本願明細書の実施例に示された組成物を基本にして,特定の成分の含有量をある程度変化させた場合であっても,これに応じて他の成分を適宜増減させることにより,当該特定の成分の増減による物性の変化を調整して,もとの組成物と同様に本願物性要件を満たす光学ガラスを得ることも可能であることを理解できるものといえる。そして,前記イのとおり,当業者は,本願明細書の発明の詳細な説明の記載から,本願物性要件を満たす光学ガラスを得るには,「Nb 2 O 5 成分を40%超65%以下の範囲で含有し,かつ,TiO 2 /(ZrO 2 +Nb 2 O 5 )を0.2以下とする」ことが特に重要であることを理解するものといえるから,これらの条件を維持しながら,光学ガラスの製造において通常行われる試行錯誤の範囲内で上記のような成分調整を行うことにより,高い蓋然性をもって本願物性要件を満たす光学ガラスを得ることが可能であることも理解し得るというべきである。なお,これを具体的な成分に即して説明するに,例えば,本願発明の最多含有成分であるNb 2 O 5 についてみると,当業者であれば,実施例中最多の含有量(53.61%)を有する実施例50において,TiO 2 /(ZrO 2 +Nb 2 O 5 )を0.2以下とする条件を維持しながら,必須成分であるTiO 2 (6.48%),ZrO 2 (1.85%)又は任意成分であるNa2 O(9.26%)から適宜置換することによって,本願物性要件を満たしつつ,Nb 2 O 5 を増やす調整を行うことも可能であることを理解するものと考えられ,同様に,実施例中Nb 2 O 5 の含有量が最少(43.71%)である実施例24において,TiO 2 /(ZrO 2 +Nb 2 O 5 )を0.2以下とする条件を維持しながら,もう1つの主成分であるSiO 2 (24.76%),必須成分であるZrO 2 (10.48%)又は任意成分であるLi 2 O(4.76%)への置換により,本願物性要件を満たしつつ,Nb 2 O 5 を減らす調整を行うことも可能であることを理解するものと考えられる(以上のことは,本願組成要件に係るNb 2 O 5 以外の成分についても,同様にいえることであり,この点については,原告の前記第3の2⑵記載の主張が参考となる。)。
 してみると,本願明細書の実施例に係る組成物の組成が,本願組成要件に規定された各成分の含有比率,「TiO 2 /(ZrO 2 +Nb 2 O 5 )の値」及び「SiO 2 ,B 2 O 3 ,TiO 2 ,ZrO 2 ,Nb 2 O 5 ,WO 3 ,ZnO,SrO,Li 2 O,Na 2 Oの合計含有量」の各数値範囲の一部のものにすぎないとしても,本願明細書の発明の詳細な説明の記載及び本願出願時における光学ガラス分野の技術常識に鑑みれば,当業者は,本願組成要件に規定された各数値範囲のうち,実施例として具体的に示された組成物に係る数値範囲を超える組成を有するものであっても,高い蓋然性をもって本願物性要件を満たす光学ガラスを得ることができることを認識し得るというべきであり,更に,そのように認識し得る範囲が,本願組成要件に規定された各成分の各数値範囲の全体(上限値や下限値)にまで及ぶものといえるか否かについては,成分ごとに,その効果や特性を踏まえた具体的な検討を行うことによって判断される必要があるものといえる。
エ  これに対し,本件審決は,本願明細書の実施例に記載されたガラス組成の数値範囲については,本願物性要件を満たす光学ガラスが得られることを確認することができるが,実施例に記載されたガラス組成の数値範囲を超える部分については,本願物性要件を満たす光学ガラスが得られることが,実施例の記載により裏付けられているとはいえないとし,また,その他の発明の詳細な説明のうち,部分分散比に影響を与える成分であるTiO 2 ,ZrO 2 ,Nb 2 O 5 ,WO 3 及びLi 2 Oの記載(段落【0029】等)についても,好ましい範囲等として記載される数値範囲が実施例に記載されたガラス組成の数値範囲より広い範囲となっていることから,実施例の数値範囲を超える部分について,本願物性要件を満たす光学ガラスが得られることを裏付けるとはいえないとし,更に,本願出願時の技術常識(光学ガラスの物性は,ガラスの組成に依存するが,構成成分と物性との因果関係が明確に導かれない場合の方が多いことなど)に照らしても,本願組成要件の数値範囲にわたって,本願物性要件を満たす光学ガラスが得られることを当業者が認識し得るとはいえないと判断したものである。
    このように,本件審決の判断は,本願組成要件に規定された各成分の含有比率,「TiO 2 /(ZrO 2 +Nb 2 O 5 )の値」及び「SiO 2 ,B 2 O 3 ,TiO 2 ,ZrO 2 ,Nb 2 O 5 ,WO 3 ,ZnO,SrO,Li 2 O,Na 2 Oの合計含有量」の各数値範囲のうち,当業者が本願物性要件を満たす光学ガラスが得られるものと認識できる範囲を,実施例として具体的に示されたガラス組成の各数値範囲に限定するものにほかならないところ,上記ウで述べたところからすれば,このような判断は誤りというべきである。本件審決は,上記ウのとおり,本願のサポート要件充足性を判断するに当たって必要とされる,本願物性要件を満たす光学ガラスを得ることができることを認識し得る範囲が本願組成要件に規定された各成分における数値範囲の全体に及ぶものといえるか否かについての具体的な検討を行うことなく,実施例として示された各数値範囲が本願組成要件に規定された各数値範囲の一部にとどまることをもって,直ちに本願のサポート要件充足性を否定したものであるから,そのような判断は誤りといわざるを得ず(更に言えば,上記のような具体的な検討の結果に基づく拒絶理由通知がされるべきであったともいえる。),また,その誤りは審決の結論に影響を及ぼすものといえる。 」

【コメント】
 光学ガラスの発明(特願2012-233297号)について,拒絶審決(サポート要件違反,実施可能要件違反)に対する審決取消訴訟の事件です。

 まずは,クレームからです。

【請求項1】
  屈折率(nd)が1.78以上1.90以下,アッベ数(νd)が22以上28以下,部分分散比(θg,F)が0.602以上0.620以下の範囲の光学定数を有し,
  質量%の比率で
SiO 2 を10%以上40%以下, 
Nb 2 O 5 を40%超65%以下,
ZrO 2 を0.1%以上15%以下,
TiO 2 を1%以上15%以下
含有し,
B 2 O 3 の含有量が0~20%,
GeO 2 の含有量が0~5%,
Al 2 O 3 の含有量が0~5%,
WO 3 の含有量が0~15%,
ZnOの含有量が0~15%,
SrOの含有量が0~15%,
Li 2 Oの含有量が0~15%,
Na 2 Oの含有量が0~20%,
Sb 2 O 3 の含有量が0~1%
であり,
  TiO 2 /(ZrO 2 +Nb 2 O 5 )が0.20以下であり,
  SiO 2 ,B 2 O 3 ,TiO 2 ,ZrO 2 ,Nb 2 O 5 ,WO 3 ,ZnO,SrO,Li 2 O,Na 2 Oの合計含有量が90%超であることを特徴とする光学ガラス。
」 

 そして,「屈折率(nd)が1.78以上1.90以下,アッベ数(νd)が22以上28以下,部分分散比(θg,F)が0.602以上0.620以下の範囲の光学定数を有し」との発明特定事項が,本願物性要件で,「質量%の比率でSiO 2 を10%以上40%以下,Nb 2 O 5 を40%超65%以下,ZrO 2 を0.1%以上15%以下,TiO 2 を1%以上15%以下含有し,B 2 O 3 の含有量が0~20%,GeO 2 の含有量が0~5%,Al 2 O 3 の含有量が0~5%,WO 3 の含有量が0~15%,ZnOの含有量が0~15%,SrOの含有量が0~15%,Li 2 Oの含有量が0~15%,Na 2 Oの含有量が0~20%,Sb 2 O 3 の含有量が0~1%であり,TiO 2 /(ZrO 2 +Nb 2 O 5 )が0.20以下であり,SiO 2 ,B 2 O 3 ,TiO 2 ,ZrO 2 ,Nb 2 O 5 ,WO 3 ,ZnO,SrO,Li 2 O,Na 2 Oの合計含有量が90%超である」との発明特定事項が本願組成要件です。

 所謂化学系のしかも数値限定発明なのですが,上記の判旨の感想,皆さんいかがですか?
 
 私はどうも納得いきません。これでサポート要件違反じゃないって?どういうこと?と思います。はっきり言って,原告の代理人に上手く丸め込まれたな,鶴岡部長,という感想です。
 
 上記のとおりのクレーム中,所謂物性要件は,機能的であり,効果的であり,願望的なものです。
 それをどう実現するかというのが,所謂組成要件の部分です。
 
 原告は,「本願発明は,本願物性要件と本願組成要件の組合せによって特定される光学
ガラスの発明であるから,これらの各要件は,いずれも単独では発明の必要十分条件とはなり得ない。換言すれば,本願発明は,本願組成要件を満たす光学ガラスであっても本願物性要件を満たさないものが存在することを当然の前提とするものである。
」と主張しています。
 だからと言って,大した実施例もなく,本願組成要件で特定される光学ガラスのうち,実施例に示された数値範囲を超える組成に係る光学ガラスについても,本願物性要件を満たし得るものであることを当業者が認識できるわけではありません。

 判旨では試行錯誤がどうのこうのとあり,それにより当業者が理解できる風に書いてありますが,そうですかね?
 ハンダなどもそうですが,こういう組成物ってほんのちょっとの成分が変われば,性質もガーンと異なってくるものではないでしょうか。
 
 にもかかわらず,そこを当業者の試行錯誤任せにしては,発明開示という明細書の趣旨を逸脱するように思います。
 もし仮に原告の主張を鵜呑みにし,試行錯誤の期待を当業者に委ねるというのであっても,少なくとも原告がこの裁判で主張したこと, 「まず,本願発明の光学ガラスの主成分の1つであるSiO 2 についてみると,例えば,実施例8における含有量は25.49%であるが,ガラスの骨格成分の1つであるSiO 2 を増量することは比較的容易であるから,もう1つの主成分であるNb 2 O 5 (48.92%)との配分割合を適宜調整し,さらに,必須成分であるTiO 2 (6.86%),ZrO 2 (3.92%)から適宜置換すること等によって,本願物性要件を満たしつつ,SiO 2 を40%程度にまで増やすことが可能であること」がそのとおりであったなら,明細書にもそう書きましょうや。

 知財高裁は設立から10年以上経ちましたが,その評価はあまり芳しいものではありません。それは現状の特許出願数からも明白です。
 その設立時には,技術系の裁判官の導入の要否が多少検討されましたが,結局見送りになりました。 
 今,本件のようなこういう判決を見るにつけ,技術系裁判官の導入を見送ったことを含め,知財高裁は失敗だったなと非常に感じます。